第16回 僕はF1ドライバーになりたい
2016年11月8日
こんばんは。今回のFAIR DAY担当は三浦です。
みなさん幼稚園や保育所に通っていたころって、将来何になりたいって言ってましたか?
僕はF1ドライバーになりたい、と毎日F1の話ばかりするヘンな幼稚園児でした。
28歳になって最近恩師の先生にお会いした時も、
「まだセナとかF1好きなん?」
ときかれたぐらいです。よっぽどヘン子だったんでしょう。
さて、たまに僕はコラムを読むんですが、こんな内容の記事を見つけました。
「貧乏は不幸か?」
引き合いにだす話によってもケースバイケースで評価が割れるようですけど、YESやNOという答ではなく、この話を聞いたところで何を思いますか?
僕は数年前に出会った高校生のことを思い出します。
前述の通り、僕はレースが好きなのでたまにレーシングカートに乗りに行ったりします。
これが高いんです。お金のかかるスポーツなんですね。
で、レースに参加した時にチームを組んだ相手が高校生だったんですよ。
彼は「レーサーになりたい」というんです。
あまり根掘り葉掘り聞いたわけではないですが、彼の家は決してレーサーを育てられるような裕福な家ではないです。(わが実家同様)
バイトしながらレース資金をためて、スポンサーを探しまわって、自分の走りを動画サイトにアップして・・・少なくとも僕の目から見る限り充実してましたね。大変そうでしたが楽しそうでしたよ。
今幸せですか?なんてことは聞きませんでしたけど、彼の充実度と前向きさを目の前にして「不幸だ」と思ってはなさそうでした。
「意志あるところに道あり」
を地で行く少年でした。
「貧乏は不幸か?」
こう答える人がいますね。
「貧乏だと子の進路が狭くなるから不幸だ」
そうでしょうか?
ここでさっきの高校生のことみたいな話をすると反論が上がりますよね。
「そんな風に前向き、行動的に充実して生きられる人ばかりじゃない!不幸だと思ってしまう人にこんな話は意味がない」
彼らがどうすればいいかはまた別に議論の余地ありとして、僕がまず思うのは…
「なぜ不幸だと考えてしまうのか?」
生まれつきそういう遺伝子を持っているか何かのせいで、前向きなれないんでしょうか?
子供のせいなんですか?
いえいえそんなはずないですよね。
どんな人と出会ってきたかで変わるのではないでしょうか?
ちょっと違う視点でいうと、出会った人がどう振る舞うかで変わるんじゃないでしょうか?
つまりこういうことですね。
私たち大人が子どもと接するときに 、「私って不幸だ」「ぼくって不幸な人生を送ってる」と思わせてしまうような影響を与えるか、どんなに苦しいことも喜んで生きられるような考え方をするような影響を与えるか。
人間は知らず知らずのうちに後ろ向きな考えをしてしまうものです。
そういうときに、前向きに考えて努力できる習慣って大事だと思うんです。
まだまっさらな子どもがその習慣を獲得できるか。
「不幸だと思ってしまう子」になるか、「幸せだと感じる子」になるか、私たち大人次第ではないでしょうか。
例えば僕の生活でいえば、FAIR ROADの活動も、個別指導も、子育ても、友達の子どもと戯れるのも、子どもにとっても自分自身にとっても楽しくて希望が持てて力の湧いてくる時間にできればいいなと、それがすべてではないかとさえ思います。
人や自分を育てることの根本ではないでしょうか?