第87回 貧困のものさし
2016年12月18日
少し古くなるが、8月18日NHKニュース7で「子どもの貧困」が取り上げられた。
神奈川県が主催した、子どもの貧困を同世代の学生や先生に知ってもらうという趣旨のイベントで、それに参加した女子高生は貧困家庭でパソコンが買えない、希望する学校へ進学できないという内容だった。
その放送を見た人から「アニメグッズがあった」「高額なイラスト用のペンがあった」等、貧困ではない!とクレームがあった。
また、女子高生のツィッターのアカウントが発見され、そこには「1000円のランチを食べている」、「アーティストのチケットを買っている」等があり、ツィッターは炎上した。
さらに、国会議員も参戦しちょっとした騒動になったのを覚えている方も多いと思う。
日本では、『貧困のものさし』は相対的貧困である。
税金などを引いた手取り額で、順番に並びちょうど真ん中の人が244万円(中央値)。
その半分122万円が貧困ラインである。
単身で122万円、2人家庭で173万円、4人家庭で244万円、それ以下で暮らすのが「相対的貧困」になる。
このような相対的貧困に暮らす子どもが、食を楽しんだり、コンサートに行き文化的な体験をすることが許されないのか。
日本人の多くが「貧困=絶対的貧困」をイメージしている。
絶対的貧困は、必要最低限の生活水準を維持する食糧・生活必需品を購入できる所得があるかどうか。
その『貧困のものさし』は、世界銀行が定義している1日1.90ドル未満で生活をしている人である。
世界の人口の9.6%、7億人がいる。
FAIRROADがスタディツアーで訪問する、難民キャンプやごみ山やスラムで生活する人たちの多くは「絶対的貧困」にあたる。
「子どもの貧困」を「同じものさし」で、測ることができるのか?
「相対的貧困」「絶対的貧困」の同じ『貧困のものさし』はないのか?
最近、納得する答えが「児童の権利に関する条約」である。
1989年国連総会で採決され、1990年発効し、現在196カ国が締結している、共通する「ものさし」である。
「保健」「医療」「衛生」「水」「栄養」「住宅」「教育」「情報」「文化」等、保障されるべき基本的な社会サービスが利用できているか、潜在的能力を十分に発揮できる環境にあるかどうかが問題である。
FAIRROADが訪問するところは、様々なNGOの支援があり、
「住宅」「教育」「文化」が最低限保障(個人の感覚)されているが、他は厳しい現状がある。
また、日本の「相対的貧困」のなかでも、「医療」「栄養」「教育」「情報」「文化」が保障されていないのが現状である。
特にFAIRROADは、「教育」「情報」「文化」にアプローチしている団体なので、
「絶対的貧困」の子どもも「相対的貧困」の子どもも同じ状況に感じる。
大人は、基本的な社会サービスを保障し、子どもたちの能力を最大限発揮できる環境をつくる努力を惜しんではならない。
「児童の権利に関する条約」の第31条には、休息や余暇、遊びや文化、芸術的な生活の権利も認めている。
たまの「1000円のランチ」「コンサート」大事なことと思う。