第97回 スアンプルースラムの人々~復興への道のり~
2017年5月26日
大阪市を退職して1ヶ月が経った。
民間居場所事業も高校生居場所カフェ事業も正式に始まっていないので、
これまで味わったことのない、ゆっくりとした時間が流れている。
いわゆる充電期間!?(バッテリーが古いのかなかなか充電しない)
ん‥どうでもいい!‥‥ですね。
前回のFair-Dayで、バンコクのスアンプルー地域を訪問した時の様子を書いた。
「スアンプルーの人々」は、高齢者を尊敬し、子どもを大切に育てている。そして女性が
明るく元気だ。
2004年4月23日の大火災からの復興の道のりは容易ではないはず。
笑顔が戻るまでの戦いの経過を栗本が聴く範囲で伝えたい。
「スアンプルーの人々」に尊敬の念を込めて。
突然の出火
13時頃、サトーン通りの裏手から火の手が上がり、黒煙がバンコクの空に広がった。
沈下したのが19時頃で5,500人の在住者が家なき人々となり、思い出が詰まったまちを失
った。
沈下とともに日が暮れていく。
重くて深い暗闇に落ちていく。
「スアンプルーの人々」の悲しみは計り知れない。
翌日から復興に向けての戦いが始まる。
隣接する公園に仮設住宅が建つまでの間の問題。
仮設住宅での生活の問題。
住民委員会と行政(バンコク都)との交渉が始まる。
復興への判断
スアンプルーの土地は、財務省が所有し住民は30年契約で借りている。バンコク都からすれば、一等地に当たるこの土地に高層マンションや高級ホテルを建てたいだろうが、借地権があるので住民委員会は引き下がれない。
バンコク都は、多くの住民が入居できる集合住宅(フラット集合住宅)の建設を提案したが、
住民委員会は、火災以前の形態を基本とした長屋(セルフヘルプ住宅)を求めた。
交渉の結果2つのモデルになった。
①バーンマンコン:住民たちが、貯蓄グループを通した継続的な貯蓄を行うことで、CODI (コミュニティネットワーク組織を対象に土地住宅開発ローンなど資金貸付や情報提供を行う)から融資を受けて、住民たちは自らの手(建築士の協力のもと)で住宅の設計、デザインを行うモデル。
②バーンウアトン:NHA(住宅公社)が5階建てのフラット集合住宅を建設し住民は月々の家賃を支払うモデル。
バーンマンコンモデルに40%、バーンウアトンモデルに60%と住民が二分化し、スアンプルー地域に長屋と集合住宅が建設されハード面が整備された。
バーンマンコンを選択した住民委員会は、まちづくりのプロセスに参加し、コミュニティの問題を自らの課題として話しあった。
そして、課題別に7つの委員会(グループ)が立ち上がった。
①住宅の貯蓄グループ
②仲間同士の融資グループ
③葬儀支援のグループ
④婦人活動グループ
⑤障がい者・病人の支援ボランティアグループ
⑥麻薬撲滅のための資金グループ
⑦青少年教育・文化活動グループ
住民がどんな状況になっても孤立しないように、関係するグループが相互扶助の機能を果たす。
長屋では、軒先での商売や家内工業、内職が行われていて、雇用や生産が地域の中にあるのが大きな特徴である。勿論、地域外で働く(屋台や家政婦・タクシードライバー・建設現場など)方もいる。
また、各家の前には緑(香辛料などの食べられるもの)が植えられていて、土には生ごみリサイクルの堆肥を混ぜ、ペットボトルや空き缶のリサイクルで種や苗を手に入れ、循環型のまちづくりを実践している。この取り組みはバンコク都から表彰されていた。
子どもたちには、1バーツの大切さを教え貯蓄を習慣付けることや、民族舞踊や食文化を継承している。
スアンプルーの復興は、住民同士の相互扶助の仕組みを確立し、まちの美化を確保しつつ持続可能な循環型社会の形成であると思う。この挑戦は、他のスラム地区にもモデル的な取り組みになる。
住民委員会の方たちが「ごみが多い汚れた街になると、麻薬や売春、犯罪が増える。そうすると行政から出てゆけと言われる」「そうならないように、努力を続ける」とおっしゃっていた事を思い出す。
FAIRROADは、スタディツアーで文化交流と宿泊を体験させていただき、年に1日だが、まちの変化を肌で感じている。
言葉は通じないが、居心地がよく、日本人が忘れた去ったコミュニティの形がここにある。
また今年もお世話になる。
「ただいま!」