第1回FAIR ROADスタディツアーから想うこと/栗本 正則
2017年6月19日
1.はじまり
4年前、タイ北西部メーソットのごみ集積場にある、スカイブルースクールで出会った子どもが私の人生を大きく変え、背中を押された瞬間であった。
スカイブルースクールの昼食時に訪問すると、子どもたちは順序良く並び、ご飯に野菜が入ったスープをかけてもらいテーブルに着いた。その中の一人の男の子は、食事を食べず目に涙を一杯溜めている。よく見ると、足の傷口が爛れハエがたかっている。
痛さを精一杯我慢し、お母さんに助けを求めて視線を送る。
そのお母さんは、私たちを案内する任務を受けていて、子どもの訴えるような視線を無視し、淡々と任務をこなす。子どもが距離を開けながら後を追う。子どもに声をかけ抱き上げようとしたが、視線はお母さんに向け泣くばかり。その状況を見ながら、心の中で手を合わせ「ごめんなさい」とつぶやいた。
絵本と学習資材、サッカーボールを持ってきて、偉そうに支援に来ましたと言っても、この生活が明日から変わりますか?毎日、子どもの笑顔が見れますか?って、お母さんの目の奥で訴えられているのが、心に刺さる。恥ずかしさが体全体を包む。
スカイブルースクールの支援スタッフの話でも、支援の手が圧倒的に遅れていること、スクールがごみ山に近すぎて、衛生的にも環境が悪いなど‥深刻さが募る。
帰りの車中で、「自分は何をしたいんやろ」「自分に何が出来るんやろ」改めて考えたが、答えがすぐ出てくることはないのは分かっている。しかし、出来れば毎年ここを訪れたい。自分が出来ることは、必ず行動を起こし、実行する。おっさんが、あと何年生きるか分からんけど、心に誓った。
2.さいかい
翌年、再びスカイブルースクールを訪れると、環境が変わっていた。NGOスタッフの努力のおかげで、スクールは以前あった場所から、ごみ山から距離をおいた場所に移動していた。
鼻を衝く強烈な臭いもなく、整理された教室で授業が行われている。
気のせいか、昨年の重苦しい空気はなく、先生の顔にも、子どもたちの顔にも笑顔が見え、雰囲気が一変している。
持ってきた絵本を、子どもたちに手渡す。その中に昨年、泣きながらお母さんを見ていた子どもがいた。
笑顔で絵本を受け取ると、真剣に絵本のページをめくる。声をかけると、恥ずかしそうに笑顔を返してくる。
ほっとした瞬間であると同時に、涙が出てきた。
なぜか涙が出てきた。
3.あらたに
帰国後、これまでと違った枠組みで活動をしたい。若い人たちに伝えたい、感じてもらいたい。と思い動き出した。
その時に、今の理事長と出会った。
子どもに対する思い、教育者としての考え、とにかく深く子どもを愛せるという、これはもって生まれたものかと思わせる。
子どもの少しの変化も見逃さず、瞬間に対応できる感覚。感心させられた。(少し褒めすぎかな)
同じ温度、同じ感覚でやっていける。そう思い、それからのスピード感は半端じゃなかった。今のメンバーとの出会い、NPO法人申請、取得。大阪城でのチャリティマラソン「大阪城へRun for Peace!」の開催、ライブハウスでのセミナー&ライブ「和合vol.1」の開催。
そして、そのメンバーと3年ぶりにメーソットに帰ってきた。
4.さいかい
8月の雨季、ノックエアの飛行機から見るメーソットは曇っていた。
2週間前には大雨が続き、街全体が水に浸かっていた様子が、地元NGOの友人のfacebookから伝えられていた。タイとミャンマー(ビルマ)の河に架かる友好橋まで被害にあっている。
しかし、メーソット空港に着いた時には、スカイブルーの空が広がり、心配していた、水も引き平常通りの街に戻っていた。
今回のツアーのコーディネートをしていただいたのが、シーカーアジア財団の吉田圭助さん。笑顔の絶えない、おおらかで、子どもと会うたびに「ホンジャラゲー」って言ってる人。
そして、同行していただいたシーカーアジア財団事務局長のアルニーさん。初めてお会いしたのが、5~6年前になる。今回、3年ぶりの再会である。
スカイブルースクールに到着した。
約束通りに帰ってきた。
また、彼に会える。
3年前の写真を見てもらい、彼を探す。居た!面影はある、生きていてくれた。ありがとう。正直そう思った。
彼の名前は、ウイディアオ。
自分の写真を照れくさそうに見ている。覚えているだろうか、4年前に出会った大阪から来たおっさんの事を。また、照れくさそうに写真に納まってくれた。
この写真を見て気づいたのが、周りのスタッフの方々が笑顔で見ていてくれた。おっさんと子どもの再会を。ありがとうございます。
この後、楽しい時間が流れていく。シーカーの移動図書館スタッフ(ソムサックさん、トンくん)による、絵本の読み聞かせ、人形劇。以前見た時より、完成度が高い。大人も思わず見入ってしまう。そして、子どもたちと折り紙を一緒に折る。
途中で分からなくなった子どもが、折り紙を差し出してくるので、折って手渡すと、次から次へと途中までの折れていない折り紙が出てくる。完成するまで大変だが、出来上がると笑顔を見せてくれる。
この後、ごみの山を見に行く。
ブルドーザーの大きなエンジン音が響き、無数のハエが舞い、悪臭が鼻孔を突き抜ける。大人たちは大きな袋を抱え、ごみ山からリサイクル出来る物を探す。
裸足の子どもが歩いている。
手を振れば、少し遅れて返してくれた。
ツアーメンバーの顔が強張り、先ほどの笑顔が消え、声を無くしている。
どう受け止めていいのか迷っているように見える。
これも、紛れのない現実である。
お別れの時間がやってきた。最後に集合写真を撮る。
「ヌン・ソン・サン・イヤッー」
スカイブルーに子どもたちの声が響き渡る。
この子どもたちの未来が、この空のように明るく晴れ渡るように、祈るばかりです。
また、会いに来るからね。
5.ほうむすてい
スカイブルースクールの余韻を引きずりながら、車に乗り込む。
途中にバーンワンパ学校を訪問し、一路メーラムンを目指す。夕方、メーラムン学校に到着すると、校長先生、先生方、そして、ホームステイ先の子どもたちが出迎えてくれた。校長先生とは、4年ぶりの再会である。相変わらず存在感ありすぎの先生、お元気そうで何よりである。
子ども達を交えて食事を取り、再会と出会いを喜びあった。
今回、私がホームステイする先の子のニックネームは、ホンダくん。なんでホンダくん?乗っているバイクがHONDAだから。
将来は医者になりたいから、勉強一筋。彼女も作らず、たばこも吸わないとの事。奨学生で、一度バンコクへ行ったことがある経験からだと思うが、タイ料理は美味しいかと聞いてくる。「アローイ」と答えると、タイ料理は美味しいが体には良くない。ここの食べ物は自然のものだけで美味しくないが、体には良い。ウーン、その通り。
日本も昔、自給自足をしていた。最近では、地産地消と言われ、食育の取り組みを推奨しているが、ホンダくんはシンプルに分析し、説明してくれた。
メーラムンでの一番のミッションが、桃太郎の劇で、あらかじめ英訳した指導書と小道具を持参したのである。夜の交流会で実際、演じることになり、ホームステイ先の子ども達と一緒にすることに決めた。
交流会まで、2時間。さっそくそれぞれの家に帰り、水浴びをして、ホンダくんの家に集合。配役を決めて、せりふ合わせ。そして、桃太郎さんの歌を合唱。♪モモタロウさんモモタロウさん~♪おこしにつけたキビダンゴ~♪ひとつわたしにくださいな~♪
結構真剣で、最後に通し練習。完璧!
その後の交流会では、ホームステイ先のご両親と先生方を交えての食事、カレン族の踊りと、桃太郎の劇。そして、感想を述べ合ってのひと時が、笑いと涙で過ぎていった。
今度訪れたときに、先生方が指導書に基づいて創りあげた、桃太郎の劇が楽しみである。
ホンダくんの家に戻り、お父さん、お母さんと、ホンダくんの弟と5人で時間を過ごした。言葉が通じないもどかしさもあったけど、ホンダくんの英語、タイ語、カレン語、絵をかいてのコミュニケーション術で、なんとなく通じたような気がした。
さすが、世界のホンダくん!ありがとう。
ついにお別れの瞬間が近づいてきた。ホンダくんのリードで全員一緒に学校へ向かう。
学校に着くと、ホンダくんには生徒会長としての仕事が待っていた。音楽をかけ、生徒を全員集め朝礼をする。最後にお別れの言葉を交わすこともなく、車に乗り込む。ほかのメンバーは、別れを惜しみ手紙の交換をし、涙でお別れをしている。うちのホンダくん・・・
車が朝礼をしている横を通り過ぎるとき、前で旗を掲揚しているホンダくんが見えた。
バイバイ、ホンダくん。また来るから、元気で勉強頑張れよ。
ポールに旗がスルスルと揚がっていく様子が遠くになった。
6.いみんなんみん
今回のスタディツアーで、メーソットのSVA事務所の菊池礼乃さんとお会いすることが出来た。菊池さんは、難民キャンプで住民と日夜対峙し、地道に支援活動をされている。
ミヤンマー(ビルマ)の民主化が進み、アウン・サン・スー・チーさんが自宅軟禁から解放され、88の運動家が釈放されている。それに伴い、アジア開発銀行やインド政府が支援、日本も国際協力機構(JICA)を中心に道路、鉄道の整備に本格的支援を行うという。
アジアンハイウェー1号線、日本の東京が東端で日本を縦断し、韓国、北朝鮮、西端をトルコまで14か国を貫く、総延長20,557kmの現代版シルクロードである。
タイのメーソット、ミヤンマー(ビルマ)のミヤワディが接点で、内陸都市マンダレーからインド北東部のインバールに係る整備になる。また、2015年以降、難民帰還が本格的に動く。しかし、タイには移民労働者が200万人~300万人いると言われている。
国境沿いの難民キャンでは、食料の配給が削減されることが、難民キャンプ内で赤ちゃんの売買を含めた育児放棄のケースが増加している。また、帰還がストレスとなり、精神疾患が増加し、自殺者も出ている。
そんな報道は日本のマスコミは伝えない。安倍首相が、テイン・セイン大統領と会談し、400億円の新規援助やミヤンマー政府運と軍事協力を約束した。表面的には景気のいい話だが、係る問題が多すぎるし、その最大の被害者が子どもでは、悲しすぎる。
菊池さんのお話でも、教育の大切さと情報提供の重要性を上げていた。
スケジュールの都合上、十分なお話をすることが出来なかったが、再会と連携を約束をして、事務所を後にした。
7.さいごに
友好橋から歩いて国境を越え、ミヤンマー(ビルマ)ミヤワディの空気を感じての1時間滞在。そして、タイのメーソットに戻る。国境を超えるには、タイ人が50バーツ、外国人は500バーツ、そして違法だが船で川を渡ると5バーツ。うーん、今度は船で渡るか。
慌ただしく、メーソット空港に行き、バンコク、ドンムアン空港に帰ってきた。
毎回思うことだが、ホームステイ後のバンコクの街は刺激的で、カルチャショックを感じる。
大阪の都会人やと思うが、本質は違うのかな?
バンコクでの夜はいろいろあった。
FAIR ROADメンバーで、タイ在住のオキちゃんとの再会。
新たなNGOマレットファンを立ち上げた、ギップとムアイさんとの再会。やはりバンコクの夜は刺激的であった。
最終日、クロントイスラムの訪問で、コーちゃんと言う19才の女性と出会った。コーちゃんは、重度の障害でおばあちゃんに頭を洗ってもらっていた。父親を含め家族5人が同じ障害を持っていて他界している。
コーちゃんのお母さんは、仕事に出ていて、おばあちゃんが介護をしている。国からは月500バーツの生活扶助費が出ているが、介護サービスは無い。
おばあちゃんが、この先の不安を訴える。
スラムの問題がコーちゃんに重く圧し掛かる。
シーカーの事務所に戻ると、8年間にラオスでお世話になった、八木沢克昌さんが待っていた。久しぶりの再会。facebookでは、友達申請を受けていただいて、やり取りはあるが、お会いできて本当にうれしい。そして、そこに秦辰也さんが登場。今は近畿大学の教授で、近畿大学と甲南女子大学のツアーの引率で、たまたま、クロントイに来られていた。頭の中が混乱している。
やはり、バンコクは刺激的だ。
4つのNGO団体が、お互いの得意分野の協力で、研修システムなど、クロントイモデルが動き出している。そこに、FAIR ROADが関われるかは、今後の話になるが、少しでもお役に立てればと思う。
また、八木沢さんには、これからのNPOの活動の在り方、生き残るための、新たな仕組み創りの話を少しさせていただいた。
これからの協働と連携のなかで、進めていきたい。
たくさんの人との出会いがあり、たくさんの宿題を頂きました。お世話になりました皆様に感謝申し上げます。
またの再会をお約束します。