スタディーツアーを終えて
2017年6月19日
スタディツアーを終えて
私がなぜ、このツアーに参加したのか?・・・15年位前テレビの特集で、ストリートチルドレンのことを報道していました。
内容は、ロシアの親に捨てられたり、逃げてきたりした子供達が、マンホールの中で生活している。ねずみにかじられたりする、劣悪な環境の中で肩を寄せ合っている姿を見ました。
シンナーを吸いながら泣いていた少年は、夜になると、なぜか涙が出てくると。食べ物を買うより安いシンナーを吸って空腹を紛らわしていると言っていました。
その頃の私は子供二人を育てながら仕事していてとても余裕はなかったけれど、いつか世界の子供達の為に少しでも役に立ちたいと思ってはいましたが、
何が出来るか全くわからず、ユニセフに寄付する位しか出来ませんでした。
同じ職場の人に、フィアロードを紹介してもらい、今回参加する事となりました。
テレビで見たロシアのストリートチルドレンとは違いますが、今回のツアーに参加して、頭で描いていた事とは、全く違う世界を見る事ができました。
メラ難民キャンプ
最初にキャンプの中の事務所の様な所に通された時、今まで嗅いだ事のないような匂いに驚いた。
そこでキャンプ内の説明を受ける。人口約4万人。カレン族93%、ビルマ族4% その他3%。
1984年にカレン民族同盟の拠点が陥落し、ミャンマーから大量の難民がタイに逃れてきたのが発端。保育園からポスト高等学校まで54校もある。
キャンプ内でのワークショップ。
子供達と電気クラゲに折り紙・・・。私は、まだツアー初日ということもあり、緊張しているし、顔も体も引きつっているのが自分でもわかった。
子供達と折り紙をしていて、女の子は比較的集中できるが、男の子は、器用じゃないのか、きちんと折る事が出来なくて、そのうちには、折る事をやめてしまい遊んでしまう。
あーそうだった、息子も・・・。タイも日本もその点は変わらないなと思った。
キャンプ内をバンで通る。家は密集していて、屋根は葉っぱ。木で出来ている。
火災が起きてしまったら、大惨事になる。各家の軒下には、ビニール袋に入った泥水と砂袋が沢山ぶら下げてあった。火災時それで消すのだときいた。
大人達はチェスをしている人ぶらぶらしてる人、仕事らしい仕事はないので仕方ないと思う・・。
私達日本人は、毎日バタバタして、時間に追われている。どちらが幸せなのか、それは、全くわからない。
この難民キャンプから出るには、第3国定住という道。それを希望しない人は、キャンプ内の学校を出て、キャンプ内でずっと生活していく。
メラ難民キャンプは30年以上経つ。
ここで生まれ育った人も多い。子供達に聞いてみたかったなと思うことは、(夢は何?)と
今の日本では若者が夢を描きにくくなってきていると思う。貧困家庭も増えてきている。
メラ難民キャンプを訪れて感じたことは、<狭い世界で気の毒>と思ったが、私だってもっと羽ばたけるはずなのに、
自分の狭い価値観の中で同じ事の繰り返し。
何も変わらないなと思った。
ホームステイ
ツアー二日目、メーラムーンへ。
学校に到着したのがもう夕方。雨季なのでこの日も雨。うす暗い中でホームステイ先の紹介をする。ここで私はミイちゃんと初めて会う。
学校に到着してから何人かの生徒さんを見かけていた、きっとその子たちが私達を受け入れてくれるのかな?と思ってはいた。
その中のミイちゃんを私は、どこかで会った事のあるようなどこか懐かしい感じがしていた。そのミイちゃん家に私はホームステイする事になった。
道がぬかるんでいて、つるつるすべる。ミイちゃんは私の手をぎゅっとにぎり家まで連れていってくれた。
ミイちゃんのご両親、弟、おじさん夫婦(おじさんの奥さんはご病気で寝ていた)が出迎えてくれる。
夜遅くなっていたのに、お父さんは日本語とタイ語の冊子を見ながら、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれた。
夜、真っ暗。・・持って行ったソーラランタンを貸してくれる。
トイレまでミイちゃんと、家を出て外にあるトイレは一人では絶対行けない。
ミイちゃんが戸を閉めようとしてくれたが「お願い、閉めないで・」と言ってしまった。
夜中、トイレの事を考えていたら、全く眠れず、にわとりの声で、あー朝だ・ととてもほっとした。
ミイちゃんが、起き出して朝食の用意。ご飯はお母さんが炊いてくれた、その他のおかずはミイちゃんが全て用意してくれた。
家の手伝いをあたりまえにする。ほんとにいい子だ。
次の日、朝4時、ミイちゃん家を出発、学校まで送ってくれる。短い間だったのにミイちゃんと別れるのがとても辛い、プレゼントをきれいにラッピングもして、手紙も添えて私に渡してくれた・・・
手紙いつ書いたのだろう?・・ずっと一緒だったのに。
心がほっとした。最近忘れていた、優しくて温かい気持ちになれた二日間だった。
スアンプルー
火事になり全焼したスラム地区を住民が政府と闘いながら立て直した。
住民がコミュニテイーを作り、治安維持しようと頑張っている。
訪れた日は、この地区から大学を卒業した人のお祝いを住民みんなでする会で、盛大なお祭りが開かれていた。
一緒にビールを飲んだシングルマザーのお子さんが表彰されていた、その方は、とても嬉しそうだった。
子供の頃住んでいた名古屋の下町を思い出した、隣近所みんな知り合い、時には違う家でご飯をよばれたり・・今のマンション暮らしでは考えられない。人との関わりが希薄になってきていると感じている。
心にぽっかりと穴があいてしまった時、一人でいるのが辛いなと思うとき、スアンプルーに住んでいたら、立ち直りも早いだろうなと思った。
マレットファン
久美さんと、ムアイさんギップさんが設立したNGO、4年目。
大人同士の交流の場つくり、こどもに関わるおとなの支援。
お母さんが明るくいつも笑顔なら、こどもは心豊かに未来に夢を持てる、
自身の役割に自信や誇りを持ってもらう為に日々サポートをしている。
3人は、目がキラキラしていて、笑顔がとても素敵だった。
一緒に食べたタイ料理、すごく美味しくて、もう一度食べたいと思ってしまう。
旅の途中、何度か帰りたいと思う事もあったが、タイの子供達、支援している人、
共に一生懸命に生きている人たちに出会うことができ、自分自身の事も考えることができた。
パックのツアー旅行では、味わうことの出来ないすばらしい体験でした。
ありがとうございました。
葛原志圭子